商品の詳細
題箋無し(剥がれた名残あり)
26×18㎝
巻第一 1丁表
春 1丁表
夏 14丁裏
巻第二 20丁表
秋 20丁表
冬 29丁裏
巻第三 38丁表
戀 38丁表
雑 45丁表
巻第四 58丁表
短哥 雑躰
巻第五 68丁裏
連歌 68丁裏~79丁表
【奥書】
此一帖者校合落字等加書之本也
明應二(1493)年三月廿一日
大納言法印 在判
此集者以尭孝門弟法印尭憲自筆之書無相違書写本也
【因みに】出品本には所謂「刊記」は無いが、早稲田大学図書館蔵と全く同じものと見うけられる。
また、表紙に朱筆で「三冊之内 下」とあるが、本冊子には関係なさそうである。
【参考】奥書に登場する「尭憲」と「尭孝」について
尭憲 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尭憲(ぎょうけん、生没年不詳)は、室町時代の僧・歌人。清水谷実久の弟。号は三省。
二条派の歌人で僧の尭孝の養子となり仁和寺常光院を継承した。寛正6年(1465年)、和歌所開闔(かいこう)に任じられるが、応仁の乱が勃発すると越前国に下り朝倉氏の元に身を寄せた。
尭孝 出典「朝日日本歴史人物事典」
生年:明徳2/元中8(1391) 没年:康正1.7.5(1455.8.17)
南北朝時代の歌人。父は権大僧都尭尋。頓阿の曾孫に当たる。尭憲は養子。常光院、満願寺と号し、法印権大僧都に至る。応永21(1414)年『頓証寺法楽千首』『頓証寺法楽百首』に出詠して以来、足利義政、飛鳥井雅世らの眷顧を得て二条派の中心人物として活躍。清巌正徹および冷泉家に対抗した。永享5(1433)年『新続古今集』選進の際の和歌所開闔を務め、嘉吉3(1443)年『一条兼良家歌合』、宝徳2(1450)年『後崇光院仙洞歌合』、同3年『百番歌合』など、多くの歌会、歌合に参加。朝幕双方の歌壇で重きを為し、その門下に尭恵、東常縁らが出て、古今伝授の一流をなした。古典籍の書写にも功績があった。家集『慕風愚吟集』、歌学書『桂明抄』のほか『尭孝法印日記』『覧富士記』『伊勢紀行』などの著作がある。常縁の『東野州聞書』にその歌論を伝える。
※全体的に、経年によるくすみ、汚れ、虫喰い多数あり。
※梱包材の再利用に努めています。ご理解下さい。
商品の説明
最新のクチコミ
今年のお正月に息を引き取った愛犬の遺骨、遺髪を少しでも手元に置いておきたくて購入しました。大きさもちょうど良く重量感もあり、いかにも骨壷という感じがないので部屋においてもなじみます。ありがとうございました。
- みか3964
- 39歳
- アトピー
- クチコミ投稿 1件
購入品
商品はは届いています。まだ49日前なので、納骨する直前に骨壷から分けてもらいます。
- yuka07280221
- 27歳
- アトピー
- クチコミ投稿 1件
購入品